梨人(なしんちゅ)のキセキ 梨で明和町をもっと元気に!

群馬県・明和町で、若手の梨農家や後継者などが集まり、2013年に立ち上がった団体「梨人」(なしんちゅ)。梨づくりのプロフェッショナルになることはもちろん、梨で町をもっと盛り上げようと、日々奮闘中。その足跡をメンバー4人が週替わりでつづっていきます。

2013年07月

 酷暑で早まった収獲開始も期待ほどではなく、盆最終日までに採れた幸水は全体の1割程でした。ジベ処理による熟期促進を、邪道とばかり言い続けるのも考え物です。

明和に来た新規就農者③・2

今回は自分としては珍しく、前回の続きから。


2010年11月。生まれて始めて、群馬県・明和町に自分は足を踏み入れました。東武伊勢崎線の川俣駅を降り、待ち合わせ場所までフラフラと散歩をしてみたのですが、「特徴がない」というのが、明和町の第一印象でした。駅前にはJAや地方銀行と住宅地、駅から少し離れると田んぼや畑が広がっているという、日本全国どこにでもあるような地方の町です。

待ち合わせの場所には、一人目の新規就農者の方はもちろん、県の普及員の方もいました。町の特産品である梨の生産が年々減少していること、町が内外から新規就農者を受け入れ梨産地の維持・活性化を図っていること、すでに二人を受け入れているが二人目が半年で逃亡して空いている梨園があること・・・などなど、いろいろと話を聞きました。そして、「やる気があるなら梨をやってみないか」というお誘いを受け、その時にもうやる決心をしていました。「どれだけ年数がかかろうと、俺が明和の梨を盛り上げてやる!」とやる気満々で、年が明けた2011年1月5日、明和に移住。百姓として独立するために、1年間の研修期間にはいりました。

明和に来た新規就農者③・1

最近、平日の昼間に子どもたちが公園なんかで遊んでいて、なぜと思っていましたが、ああ夏休みの時期が来たんですね。縁もゆかりもない明和に来て3回目の夏。早いもんです。

以前も、新規就農者の条件の一つに「縁もゆかりもない地域での就農」をあげました。実際に自分は大阪出身で、明和町はおろか群馬県にすら親戚や知り合いがいませんでした。東京で8年ほどサラリーマン生活を送っていましたが、明和に足すら踏み入れたこともありませんでした。

明和町を知ったのは、3年前のこと。自分は千葉県のある野菜農家で百姓の研修を受けていましたが、そこで明和町が梨産地としての維持・活性化のために、県外から新規就農者の受け入れたという新聞を記事を読みました。その内容は明和に来た新規就農者の一人目の方が、梨の収穫を始めたというもの。百姓としての道を模索していた当初、野菜だけでなく果樹の方向性も視野に入れていたので、早速調べてみました。すると、運良くこの一人目の方の連絡先が手に入り、具体的な話を聞くためにアポをとり、明和町にうかがうことにしました。2010年11月のことです。

梨好きの皆様に感謝


収穫が始まった長寿を、農協が運営している直売所に出荷し始めました。初物とあってか、よく売れるやっぱり、梨を心待ちにしていた人、多いんですね。梨好きが日本人に多いからこそ、梨農家が生計をたてられる訳で、感謝多謝です。

子どもは正直

昨日、試しドリした長寿を、愛娘に食べさせてみました。

彼女にとっては生まれて初めての梨。なんでもつかんでは口に入れてしまう時期ですが、果たして梨を喜んで食べてくれるのかどうか・・・。


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バクバク食べてくれました。いやー、正直ほっとしましたね。子どもはウソはつけませんから。これで自信を持って、今年の梨を売っていくことができます。

今年も梨が始まります②


今日は、赤らんできた長寿を試しに収穫してみました。

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我が園で梨の始まりをつげる品種だけに、いよいよかと感慨一入。早速、獲りたての味を見てみると、さわやかな甘さを持ちながらも少し固めの食感が印象的。ただ、他の品種に比べ、日持ちがしないのが弱点ですね。

自分の直売所の設置は間に合いませんでしたが、まずは地元の農協が運営しているお店に出荷しようと思います。明日は幸いなことに土曜日。お客さんに、今年も明和の梨が始まったことを伝えるきっかけになれば嬉しいですね。

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